「ヒゼキヤに学ぶ」 Ⅱ列王18:28-19:7

2023.11.5  北澤正明

① きょうの聖書箇所は旧約聖書、第二列王記18章の後半から、19章にかけての所です。

・時は紀元前713年頃。
今から、ざっと2730年前。 イスラエルの民が北と南に分裂していた時代の出来事です。

・この時代、南ユダ王国に、大変信仰的なすばらしい王が登場します。ヒゼキヤ王です。

・後世、このヒゼキヤ王は、南ユダ王国の宗教改革をしたことでよく知られるようになります。

・信仰のリフォームですね。

・このヒゼキヤ王のことを、聖書はこのように伝えています。18:5-7
「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は、主に硬くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた
命令を守った。主はかれと共におられた。」

・しかし、この時代・・、このように優秀な王が南ユダ王国に与えられたのですが・・
しかしこの時代は、イスラエルの民にとって、実に厳しい現実があったのでした。

・それは・・今急激にその支配権を拡大してきた大国、アッシリヤの存在でした。

② そして、ヒゼキヤ王が即位して14年目、ついに、その恐れていたアッシリアが南ユダ王国に攻め上って来たのでした。

・そして、城壁で固めていた町々は、このアッシリア軍に次々と飲み込まれてゆきます。
そして、瞬く間に、エルサレムは包囲されてしまいました。

・この時、アッシリヤ王の使いである「ラブシャケ」(何か食べ物みたいな名前の人ですが・・)このラブシャケというアッシリアの王の召使いが、ヒゼキヤ王とその民に、降伏するように、勧告するのでした。

・このラブシャケ。 名前の響きは今一ですが、なかなか弁の立つ男であったのです。

・彼は、ヒゼキヤ王に、こう言います。
「ヒゼキヤよ・・お前は、何に拠り頼んでいるのか・・口先だけのことばが、闘いの力になると思い込んでいるのか・・おまえは・・エジプトか何かに助けてもらおうとしているようだが・・
ちゃんちゃらおかしいわ・・あんなエジプトが何の力になるというのだ・・」

・「エルサレムがこのように包囲されている・・この、現実を見ろ。
おまえたちは・・われわれの神、主により頼む、という・・ちゃんちゃらおかしいわ・・

・お前を助けるという、その神は、いったい何をしようとしているのか・・
お前は現実が見えないのか・・。」

・「この俺が、ここにやって来たのは・・その主が、この地に攻め上って,そこを滅ぼせ・・といわれたからなのだ・・・」

・ところで・・この「ちゃんちゃらおかしいわ」というのは・・聖書には書いてないのですが・・・
この言い方を入れたほうがわかりやすいと思って、私が勝手にいれました。
耳ざわりでしたらお許しください・・。

・この後、このラブシャケは、今度は、イスラエルの民に向かって、大声でこう言うのでした。

・「アッシリアの大王の言葉を聞け! ヒゼキヤにごまかされるな。
あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。
おそらくヒゼキヤは「主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに主を信頼させようとするがそうはさせない。」

アッシリアの大王は、こう言って居られるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のイチジクを食べ、自分の井戸の水を飲めるように
なる。その後私は来て、おまえたちの国とおなじような国におまえたちを連れてゆく。
そこは穀物と新しいぶどう酒の地、オリーブの木と密の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。』

③ 私はこのラブシャケという使者の言い分をゆっくり読んでみましたときに、思いました。
この人の話は・・大変、的を得ている。 そして、とてもわかりやすい・・

・先ず、彼は、事実に基づいた話をしている・・

・そして、彼の話は、非現実的な話ではけしてない。 現実的な話をしている・・。

・なにより、この人の話は論理的です。 ですから、非常に説得力があります。

○このラブシャケの言葉を聞いた、イスラエルの民はどうしたか、と言いますと・・
18:36には、こう記されています。
→ 「民は黙って、彼に一言も答えなかった。」無反応。シーンとしていたのです。
これはヒゼキヤの作戦でした。
・なぜ、みんな、黙っていたのか・・ といいますと・・ ヒゼキヤ王が・・事前に・・・
この使者には何も答えないように、と人々に命じていたからです。

・では、このラブシャケの言葉を聞いたとき、7ヒゼキヤ王の重臣(じゅうしん)たち、そしてし群衆は、何も感じなかったのでしょうか・・私はそうではないと思います。

・彼らは、内心・・とても動揺したにちがいない・・そう思うのです。

・それは・・このラブシャケの言い分が、彼らの信仰を、根底から揺るがしてゆくのに十分な内容だったからです。

・そうです。 信仰によって生きようとする私たちは・・その生涯の中で・・一度や二度はこのような信仰的チャレンジを受けることが・・あるのではないでしょうか・・・。

・理屈に於いては・・・返す言葉が見つからない・・・ そういうチャレンジを受ける・・という経験です。

・しかし・・信仰に生きるといいますのは・・それでも・・尚、主に信頼して、生き抜いてゆく・・・
信仰に生きるとは・・そういうことである、ということを、この箇所は、私たちに教えている
私はそう思うのです。・・

④ では・・この時、このヒゼキヤ王自身は、どのように、これを受け止めて行ったのか・・
について、考えてみたいと思います。
19:1-:4朗読の所を読んでみたいと思います。

・さきほど、私は、「ラブシャケの言葉を聞いて・・重臣たちも、群衆も動揺したに違いない・・」 と申し上げたのですが・・・ では、ヒゼキヤはどうであったのか、と言いますと・・
動揺どころではなかったのです。そんな生易しい心境ではなかったのでした。

・ヒゼキヤは、このラブシャケの言葉に打ちのめされ、絶望的な思いに包まれてしまったのでした。

・大軍に包囲されている・・しかし自ら打って出てゆく、その力はない・・
そして・・非常に説得力のある言葉で・・降伏への最後通告をされてしまった・・。

・このような、はずかしめを受け・・そして・・結局、皆殺しか・・全軍敵の奴隷になってゆく
その道しか残されていない・・だれが見ても・・今、ヒゼキヤは・・絶体絶命・・八方ふさがり・・に思えました・・。

・しかし、このような窮地に追い込まれたヒゼキヤではありましたが・・・・
彼には・・・一つの道が・・残っていたのでした・・・。
それは・・・預言者のところにいって・・神さまの御声を聞く・・と言う道でした・・。
➄あれは、丁度、目黒カベナント教会の会堂が出来上がった頃でした。
私は、休暇をいただいて、大阪にある淀川キリスト教病院に訪ねていったことがありました。
この病院には、ホスピスという、末期がんの患者さんたちをあらゆる面で支える・・病棟がある病院です。

・目的は、そのホスピスのチャプレンをしていた先生にお会いすることと、そこに勤めていた娘の様子を見に行くことでした。

・そのとき、娘が・・ぽつりと、こんなことを言ったのでした。

・「目黒教会の会堂ができてよかったね・・ 」「これで、パパもママも・・死に際になったときに、
教会に行きたい・・そう言って、連れて行ってもらえるね・・」

・一瞬、「変なこといっているなあ・・」と、思ったのですが・・・後で、よくよく考えてみると、・・
なかなか味わいのある言葉だなあ・・」と思いました。

・「ホスピスの患者さんたちを支える・・そういう仕事をしていると・・・その患者さんが、よく言うそうです。  『最後に・・・もう一回だけでいいので・・自分の教会に行ってみたい・・』
娘は、この時、こうも言っていました。 「会堂って・・そういうものなのかもね・・・」

・皆さんは、絶望的な思いが迫って来たとき・・どこに行こうとするでしょうか・・
行ってみたい・・。

⑥ ヒゼキヤ王は、アッシリヤが迫って来て、絶体絶命の窮地に追い込まれたとき・・・彼は・・預言者イザヤの所に行き・・神さまから預けられた御言葉をいただく・・ そのことに、いわばかけたのでした・・。

・そして・・急ぎ、イサヤの所に・・使いを送ります。
そして、その使いの言葉を聞いたと時、預言者イザヤは、このように語るのでした。
19:5―:7

・このイザヤから「神さまの言葉」を聞いたヒゼキヤは震え立つのでした。
そして・・これを機に、戦況は一変します。

・何があったのでしょうか・・アッシリア軍18万5千人が、その夜戦死したというのです。

・聖書は、その出来事が、あまりに劇的だったためでしょう・・ 35節の所で・・
「主の使いが出て行っていってアッシリア軍をせん滅した。」と語っています。

・「この主の使い」とはだれことかの?・・これは・・想像するしかないのですが・・・

・私の想像では、み言葉に力を得た、ヒゼキヤ自身が・・精鋭部隊を率いて・・夜・・
アッシリヤ軍の宿営を急襲。大混乱に落ちったアッシリヤ軍は・・同士打ちとなって・・
ある者は死に、ある者は逃走していった・・そういうことを聖書は伝えているのではないか・・
そう思うのです・・。

⑦ では、現代社会で生きている、私たちに、この聖書個所は、何を教えているのでしょうか・・。

私たちの前では、古代の、ヒゼキヤが経験したような出来事は起きないでしょう・・。

・しかし、現代に生きる平民である、私たちも・・生きてゆきますときに、ヒゼキヤと同じように、人々から中傷される・・ ひどく非難される・・そのようなことはよくあります。

・孤独な思いにさせられてしまうのは、古代人より、現代人の方が多いかもしれません。

・いや、そういう精神的な逆境だけではなく・・病などの、身体的な絶体絶命の危機に置かれることは、年齢を重ねると誰にも起こります。

・「いや、私は、そんな経験はありません。」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが・・
ご心配ありません。人の一生には、誰も例外なく、この大ピンチはやってきます。

・しかし、恐れることはありません。 そのような時・・・思い起こそうではありませんか・・。
この時の、ヒゼキヤが・・どうしたかをです。

・ヒゼキヤは・・そういう状況を嘆き、落ち込んだまま沈んでいき・・そして、絶望していったのでは、有りませんでした。

・彼は、その時・・預言者イザヤを通した神さまの言葉を求めたのでした。 そして、その、神さまからの御言葉によって・・厳しい厳しい現実を打ち破る力得たのでした・・。

・ピンチのとき・・イザヤを通した神さまの御言葉を求める・・すると、その御言葉は、必ず、あなたの心にも届き・・あなたは再び立ち上がってゆくことができる!

・きょうの聖書個所は、そのことを教えている、そう思います。

・そういうわけで、きょうは、一か所だけですけれども、イザヤに預けられた、神さまの御言葉を皆さんにお届けして終わりたいと思います。

・有名な41章10節の御言葉です。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

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