ピリピ人への手紙 3章12節~14節

2024年11月17日 勝本正實

 主 題   求道する心を保ち続ける
招きの言葉 詩篇130篇1~8節  今週の聖句 コロサイ書 3章 1節

命 題     信仰生活は平坦ではない。信仰には波がある。時には、神を疑い信仰が薄れる事もある。また別の時は、教会にも不信感をもち、信仰が破綻しかけることも起こる。そんなときに、信仰を支えるのは、たゆまぬ求道心である。それだけが信仰の灯を支える。信仰は神の恵みによって与えられ、その後も支えられる。この事を学ぶ。

序 言 信仰は波があるが、途切れてはならない

 信仰は始めることにも決断がいりますが、続けることには更なる意志・思いが必要です。なぜなら世の中は自分の思うように成らず、自分自身も不安定だからです。もし、信仰を人生において全うできれば、それは自分にとって表彰に値するものです。信仰の歩みは平坦ではなく、常に波があり、時に挫折を味わいます。皆さんの周りの人で、信仰から離れた人がおられるのをご存知でしょう。主イエスの弟子たちも同じ疑問をもって、主に質問した事がヨハネ6章66節以降の所に記されています。信仰は人生の波に揺れながら進む小舟のようです。今日は信仰に生命を注ぐ求道心について学びます。

 

本論1 信仰は神への応答である

 今日の聖書箇所についてまず学びましょう。この箇所にはパウロの信仰のひたむきさが記されています。現状に満足せず、自分の信仰を高めていきたいとの彼の意思が記されています。伝道と言う困難の多い人生を歩みながらも、ひたすらに信仰の道を歩もうとする、一人の信仰者の姿勢です。すごいと驚くと共に、自分には出来そうにもないと及び腰になります。

努力と言うことであれば、大変な努力ですが、信仰的にいえばひたむきな信仰です。迫害の中で、心が折れそうになった時もあったにもかかわらず、それでもあきらめずに前に進もうとしています。このエネルギーはどこから来たのでしょう。信仰の答えから言えば、それは神さまから与えられた力です。信仰とは、神への応答・反応です。ですから神さまのみ心を求める事が不可欠です。自分の思いが強ければ、やがて息切れを起こします。神さまによってとらえられている事を自覚して、前に進もうとしています。これが普段の努力と違う点です。自分で頑張るとそのうち、息切れを起こし挫折します。

 

本論 2 信仰を諦めてはいけない

自分の人生は思うように成りませんが、信仰はもっと思うように成りません。一方で信仰に期待する自分の思いがあります。私たちの側からすれば、信仰は自分で求めるものですが、神の側からすれば、神のみ心によって招かれた結果であり、神の働きによるものです。この招きに応じる事も出来れば、拒否する事も出来ます。日本的な言い方をすれば、信仰は出会いであり、縁によるものです。これは時間の経過によって、主導権を自分から神様へと移しかえることと言えます。若い時は自分で決めて行動していても、年を重ねることで、他の人に任せることを学ぶようなものです。そこにプライドが働くと委ね従うことが出来ないで、もめることになります。信仰の場合、自分との葛藤が生じます。以前から学んでいますように、信仰とは神のみ心を求め、それに合わせようとする営みです。ですから自分の事は自分で決めると言うこれまでの生き方を修正することになります。自分が決めることを学んで来たので、この権利を委ねることは容易な事ではありません。

 思うよう願うようにならないと、信仰を放り出したくなります。このため緊張の糸が切れてしまうと、信仰を捨てることになります。

 

本論 3 信仰にマンネリや息切れは自然に起こる

私たちの生活は基本的に、同じような事の繰り返しです。それは穏やかで平凡な暮らしをもたらします。振り返ると何をしたのかよく思い出せないような時間の流れです。これと同じ事が信仰にも起こります。緊張感が薄れ、マンネリ化しているような信仰状態が訪れます。テレビドラマのようなハラハラドキドキといった状況は、心身ともにすり減らしていきます。習慣化とマンネリ化は、仲間です。

毎日の食事は命を支え、健康を維持するための基本です。たまに食べるごちそうは、ひと時の楽しみです。信仰は当たり前のことが当たり前のように、過ぎていくことの繰り返しです。そうした中で、ふと迷いが起こります。別の事に心が動くのです。いましている事を辞めてしまうことは、小さな決断で出来ます。しかし、後になって元に戻ろうとしても、かなり頑張らないと戻れなくなります。もともと信仰はなかったので、生活に支障はないからです。ですから信仰を持ち続けることは、私たちの都合ではなく、神様に求め続け、問い続ける事が命綱になるのです。

 

本論 4 求道心は自分にも世の中にも問い続けること

神さまに求め続けること、問い続けることは大切です。期待や疑問のないところに、応答はないからです。求め続け、探し続ける人にのみ見つけ出せる神のみ心があります。親は子供に期待するところに、子どもの変化に気づきます。野菜を育てる人は野菜に期待するところに、野菜の生長に気づきます。人は神に問いかけ期待するところに、応答に気づきます。求道することは根気のいる事です。期待が薄れれば、祈りも遠のき、聖書も開かれません。教会に来る事も回数が減るでしょう。

信仰の歩みは、自分に問いかけ、神に期待し、世の中に神のみ手を見ようとする事です。これはしんどい事ですが、このことが私たちの信仰を支えてくれるのです。私たちにはたゆむことのない願いがあります。同時に神さまの願いも私たちにあります。この事を意識する中で信仰は命を保ち続ける事が出来ます。

 

まとめ 求め続ける忍耐と謙虚さ

信仰は今の人生とこの後の人生を、豊かなものにしてくれる宝物です。全ての事が移ろい変わっていく中で、色あせずに価値を保ち続けます。限りある命を通して、限りない命を手に入れるのが、信仰のたまものです。

祈りましょう。

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