ヨハネ18:1~11 ゲッセマネの出来事

2024.5.19 鳥居光芳


現在私たちが会堂として使っているこの建物は、記録によれば1977年に建てられていますから、築後47年になります。ここに住んでみないとわからないのですけれども、この建物は、ちょっと強い風が吹くと2階がグラグラ揺れまして、台風シーズンになると、いつも不安でした。しかし、それは悪い事ばかりではなく、良い事もあったのかもしれません。何が良かったのかと言いますと、家が大きく揺れるたびに、「神様、お守りください。」と真剣に祈るようになったことです。止むを得ずとは言いながら、祈り深くなるのに役に立ったかもしれません。「あらき野キリスト教会」と書いた看板が外れて飛ばされた事もありましたけれども、それが誰かに当たって怪我をさせたというような事はなく、兎も角もこの教会は神様に守られて現在に至っています。今回耐震補強がされて、建物の寿命がぐっと伸びたであろうと思いますけれども、それは、「これからもこの建物を、神様の御用のために用いなさい」と言われているのではないかという気がします。私も体の続く限り頑張りますけれども、皆様もご協力くださって、これからもこの教会を支えていっていただきたいと願います。
ヨハネ黙示録(21:1)に、「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」とあります。これは、やがて新天新地が現れて、私たちがそこに移される事を預言している言葉です。新しくされたこの会堂を新天新地と考えるには、少し無理があるかもしれませんけれども、無理を承知でそのように考えますと、私たちは一足早く新天新地に移されたわけです。無理を承知でそのように思うためには、熱心に祈り求めて行かなければなりませんけれども、ルカ18章にこのような話が載っています。それは横柄な裁判官の話しですけれども、この裁判官は、神を恐れず、人を人とも思わないような人間で、聖書に出てくる資格もないような裁判官でした。しかしある時、この裁判官の所に、裁判をしてくれるように、一人のやもめが頼み込んできました。やもめの願いなどに耳を貸すような裁判官ではありませんでしたけれども、あまりにもしつこく頼み込んで来るので、仕方なく裁判をしてやったという話しです。このたとえ話が教えていることは、1・2度祈っただけで簡単に諦めてはいけないという事です。神様が音を上げるほどしつこく熱心に祈りなさいという事です。新しくされたこの会堂が、私たちにとって新天新地のようになり、今まで以上に用いられるようになって、新しい方もお出でになることを、皆様ぜひしつこいほどに祈ってまいりましょう。
マタイ福音書(6:8)に、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられます。」とあるように、神様は、私たちが祈る前から、私たちが必要としている物をご存知です。「だったら、祈る必要はないではないか。」と思われるかもしれませんけれども、神様は、私たちと交わりを持ちたいと願っておられますから、ご存知ではあっても祈った方が良いのです。また言葉にして祈ると、それまで漠然としていた願いが、自分自身の中ではっきりしてくる事もあります。神の子であるイエス様でさえも、よく祈られました。神の子なのですから、普通の人間以上に、心の中の思いは、祈る前から神様によく伝わっていたことであろうと思いますけれども、事あるごとにイエス様は祈られました。それは、祈りを通して互いに交わりを持つことを、神様もイエス様も喜ばれたからです。
祈る場所はどこでもいいわけですけれども、やはり雑音の多い所よりも静かな所の方が、祈りに集中できて良いであろうと思います。イエス様は、ゲッセマネの園で祈ることを好まれたようです。ヨハネ18:1に、・「これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。」とありますが、この園はゲッセマネの園と言われている所です。ゲッセマネというのはアラム語で、「オリーブの油を絞るところ」という意味だそうですが、このゲッセマネの園はオリーブ山の中にあって、山で採れたオリーブをここで絞って、油にしたのでしょう。オリーブ山は、キデロンの谷を挟んでエルサレムの町の真向かいにありましたから、エルサレムで伝道した後しばらく休憩をとるためには、丁度都合の良い程度に離れた所にあったようです。
ヨハネ福音書には書かれていませんけれども、マタイ福音書によれば、イエス様の一行がゲッセマネの園に着いた時、イエス様は弟子たちに、このようにおっしゃいました。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」とおっしゃいました。そしてペテロとゼベダイの子の二人だけを連れて更に進んで行き、また言われました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」と言われました。この時イエス様には、ご自分を捕えるために、イスカリオテのユダが役人達を連れてやってくることが分かっていたのでしょう。ですから弟子たちを2カ所に分けておき、ユダたちがやって来たら合図をするように命じておいたのかもしれません。ルカ22章には、「弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて」イエス様は祈られた、と書かれています。役人たちがやって来たら、石を投げて合図をする予定だったのでしょうか。
この時イエス様は、このように祈られました。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)と祈られました。イエス様は、やがて自分は十字架に釘付けされ、血を流しながら死んでいく事をご存知でした。イエス様は神の子ですから、痛さや苦しみなどは超越しているのではないかと思われるかもしれませんけれども、そんな事はありません。イエス様は、罪を犯すこと以外、喜びや楽しみ、苦しみや悲しみ・試練など、人間が経験するあらゆる事を、同じように体験されたのです。ですからイエス様と言えども、十字架の上で血を流す苦しみは、普通の人間と同じように感じたのです。そのような痛さや苦しみを避けたいと思うのは誰も同じことで、イエス様でも、その様な苦しみからできれば逃れたいと思っていました。ですから、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」と祈っています。ここで「杯」というのは十字架の苦難の事ですけれども、もし十字架に架からないで済むのならば、そのようにして下さいと祈られたのです。しかしイエス様は、ご自分がこの世に遣わされてきた使命をよくご存知でしたから、この後、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と続けて祈っておられます。
祈りは、何を祈っても良いのです。イエス様も、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」と、ご自分の願うところを祈りました。しかし、「願い通りにして下さらなければ、私はあなたを信じません。」という思いは間違っています。神様は全能だからと言って、祈ったとおりにして下さるとは限りません。全能だからこそ、祈りを聞いて下さらない事もあるのです。聞いて下さらないのではなく、祈ったことよりも更に良い形に変えて聞いて下さるのですが、祈ったとおりにならないと、私たちは、祈りが聞かれなかったと思ってしまいます。しかし本当は、最善の形に変えて聞かれているのです。ですからイエス様も、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈られました。ピリピ4:6,7に、このように書かれています。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と書かれています。どのような事を願っても、「人のすべての考えにまさる神の平安が、」私たちに与えられるのです。言い換えれば、祈りは、人間のどのような考えにも勝る形に変えて聞かれ、神の平安で私たちを満たして下さるのです。イエス様は、十字架に架からないで済むことを個人的には願いましたけれども、神様の御心は、イエス様が十字架に架かることであって、それが最善だったのです。ですから、そのとおりになりました。
ところで、イエス様が弟子たちを2カ所に分けて置いておいたのは、イエス様を捕える者たちがどちらの方向からやって来ても、合図をすることが出来るようにするためであったかもしれませんけれども、合図があったらすぐに逃げ出そうと考えていたわけではありません。おそらく、イエス様を捕える者達が突然やって来ても、慌てふためくことのないように、心備えをするためではなかったでしょうか。しかし弟子たちはとても疲れていたようで、イエス様が祈っている間に眠ってしまいました。そのような弟子たちに対してイエス様は、「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:41)とおっしゃっていますが、眠い時は、どうしようもなく眠いものです。心がいくら燃えていても、肉体は弱いのですから、聖霊の助けが無ければ、サタンの誘惑に負けてしまいます。聖霊の助けを受けるためには、いつも聖霊に満たされていることを祈り求めなければなりません。祈り求めれば、聖霊は必ず与えられます。それはルカ11:13に、「私たち人間でも、自分の子供には良い物を与える事を知っているのですから、「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」」と書かれているとおりです。
今日は、イエス様の弟子たちが聖霊の満たしを受けたペンテコステの日です。ペンテコステというのは、「50番目の日」という意味ですけれども、何から50番目かと言うならば、イエス様が死から甦ったイースターから50日目です。この日に弟子たちが一つ所に集まっていると、天から聖霊が下って来て、一同はその聖霊に満たされ、夫々が自分も知らない他国の言葉で語り出しました。使徒の働き2:1~4に、このように書かれています。「2:1 五旬節(ペンテコステ)の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」と書かれています。聖霊に満たされると、どんな外国語でも自由に話せるようになる、と冗談半分に言われる時がありますけれども、全世界に出て行って福音を宣べ伝えることが急務であった初代教会の頃には、このような奇跡が起きたのでしょう。今は聖霊に満たされても外国語が話せるようになるわけではありませんけれども、聖霊に満たされると、神様の事がよくわかるようになって、人生が楽しくなります。
ルカ福音書によれば、ゲッセマネの園でイエス様は、血のように汗を流しながら祈ったということですが、おそらくサタンから強烈な戦いを挑まれたのであろうと思います。強烈な戦いとは、サタンから示された大きな誘惑との戦いです。その誘惑とは、「自分は十字架には架かりたくない。」とイエス様に思わせようとするものでした。サタンとしては、イエス様に十字架に架かられては困るのです。それはイエス様に十字架に架かられると、罪人が赦されてしまい、それだけ自分の側の勢力が削がれるからです。ですからサタンは、イエス様が十字架に架かることをイエス様が自分から拒むように、色々な誘惑を仕掛けてきたと思われます。それより3年前にも、イエス様は荒野でサタンから誘惑を受けました。その時サタンは、国中の栄華をイエス様に見せて、「もしあなたがひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」(マタイ4:9)と言って誘惑しました。ゲッセマネの園ではどのような誘惑が示されたのか聖書には書かれていませんけれども、血の滴るほどに汗を流しながら祈らなければならないほどに強い誘惑であったことは確かです。しかし激しい戦いの末、イエス様はサタンの誘惑を退けて、十字架に架かる心の準備を整えることが出来ました。
その時イスカリオテのユダが、ローマ兵の1隊と、祭司長やパリサイ人達から送られた役人達を案内してやって来ました。聖書の下欄にある注釈によれば、ローマ軍の1隊は600人の兵士から成っている、とありますけれども、これだけ多くの武装した兵士たちが、イエス様一人を捕えるためにやって来たのです。彼等がどれほどイエス様の力を恐れていたのか、よくわかります。彼等は、この時イエス様が天の軍勢を呼び寄せて、戦いを仕掛けてくるのではないかと思っていたのかもしれません。ですから祭司長達は、600人ものローマ兵士の力を借りようとしたのでしょう。しかしこの時、本当に天の軍勢がやって来たら、600人の兵士ではとても勝てなかったことでしょう。イエス様を信じていない祭司長たちでも、これほどイエス様の力を恐れていたのです。イエス様を信じている私達は、イエス様の力をこれほど信じているでしょうか。祈っている傍から、「大丈夫だろうか。」と心配になるような事はありませんでしょうか。マルコ11:24 に、このような御言葉があります。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」もっともっとイエス様に信頼し、御言葉を信じましょう。
祈りを通して心備えの出来たイエス様は、自分を捕えに来た600人以上のローマ兵や役人たちの前に立ち、「誰を探しているのか?」と問われました。彼らが、「ナザレ人イエスを。」と答えると、「わたしがそれだ。」とイエス様はお答えになりました。すると、「彼らは後ずさりをして、地に倒れた」と18:6に書かれています。何故倒れたのでしょうか。それは、イエス様の権威に圧倒されたからです。イエス様がおっしゃった「わたしがそれだ。」という言葉は、聖書の下の脚注欄に書かれていますように、元の言葉では、「エゴー エイミ」という言葉です。この「エゴー エイミ」という言葉は、その昔モーセがイスラエルの民をエジプトから連れ出すように神様から命じられたとき、神様はご自分の名は「エゴー エイミ」であると告げられました。私達が今使っている聖書や新共同訳聖書では、この「エゴー エイミ」を「わたしはある」と日本語に訳していますけれども、口語訳聖書では「有って有る者」と訳しています。いずれにしましても、この「わたしはある」というのは原語では「エゴー エイミ」であり、「わたしは神である」という意味です。イエス様がご自分を捕えにやって来た役人たちに対して、「わたしがそれだ。」(エゴー エイミー)と言われたのは、「わたしは神である」と言われたも同然なのです。それで役人たちは、その権威に圧倒されて後ずさりし、倒れたのです。
このように役人たちはイエス様の権威を恐れていましたけれど、それに負けまいとして虚勢を張っていました。それはイエス様が、「誰を探しているのか。」と彼らに尋ねた時に、「ナザレ人イエスを。」と彼らが答えたことからわかります。ナザレはガリラヤ地方にある貧しい村です。イエス様は、伝道の公生涯に入られるまでは、この貧しいナザレに住んでいました。役人たちは、「ナザレ人イエス」と強調することによってイエス様を貶め、神であるかもしれないイエス様に対して虚勢を張ったのです。
この時、特に激しくイエス様を罵った役人がいたようで、ペテロが、持っていた剣でその役人に切りつけ、耳を切り落としてしまったという事が10節に書かれています。祭司長から遣わされた役人を傷つけたとなれば、ペテロも捕らえられて、殺されてしまいます。そのような事にならないように、イエス様は役人の耳を直してやったとルカ福音書に書かれていますけれども、ご自分が捕らえられようとしている時にも、弟子の事を考えるのがイエス様でした。今でも私たちの事を思いやっていて下さいます。そのようなイエス様に、私達はもっともっと信頼しても良いであろうと思います。耳を切り落とされ、癒された役人の名は「マルコス」であったと書かれていますが、この名前はこの個所以外に聖書には出てきません。この様な無名な人の名前がここにわざわざ書かれているという事は、その後この人はイエス様の弟子グループに加わり、マルコスと言えば、「ああ、あの人か」と誰もが思う程の立派な人物になった事を示しているのではないでしょうか。
私たちは、世の中の誰からでも名前を知られているというような人物ではないかもしれませんけれども、イエス様からはよく知られています。そのようなイエス様に応えて、私達はますます強く信仰を持つ者となりたいと願います。

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