イザヤ書 43章1節~4節

2025年3月16日 勝本正實

招きの言葉 詩篇138篇1~3節  今週の聖句 イザヤ書 63章9節
主 題   自分の価値をどこに見出すか

命 題   私たちの人生で最も大切な存在は自分自身である。このため自分の価値や生きる意味をずっと探し続ける。自分の生きる目的、自分の生きる価値を無意識に探している。しかし、自分が納得できる答えにたどり着くのはとても難しい。それは世の中の価値観や人からの評価に左右されるからである。最後にたどりつくのは、自分の存在そのものの価値であると言うことを学ぶ。

序 言 世の中の価値観に影響されながら

 今日のメッセージの中心テーマは、神さまと私たち自身を学ぶことです。私たちが最も大切に思い、また悩むのは自分自身のことです。小さい時から今に至るまで自分のことを考えてきました。人生の中で迷い・苦しみ・争い・悩みます。世の中でもめるのは、互いの欲であり、執着が深く関わっています。主イエスが教えられたように、「自分を愛するように、隣人を愛せ」たらもっともめごとは減ります。

しかし世の中は、一つのケーキを奪い合うように、自分のものにしようとするため、常に知恵を尽くし力を尽くして、自分に執着します。優しさや思いやりがないわけではありませんが、それ以上に自分の欲やこだわりが強いのです。その結果、互いに傷つけ合う事になります。神さまは、イザヤを通して私たちに何を教えて下さるでしょう。

本論1 自分を考える時、生命と存在の視点がある

 自分を見る時、二つの観点から見ることが出来ます。一つは命をもつという視点、もう一つは存在と言う視点です。どちらも自分には大切ですが、世の中は生命に重きを置きます。つまり「命は地球より重い」と言われるように、もし他人の命を奪ったり傷つけると、思い罰が科せられます。命に関する報道は毎日ありますが、一方で存在は軽いものです。存在を大切にする法律(虐待や差別を禁止する法律)はありますが、社会において「存在そのもの」は軽く扱われ、忘れ去られます。

この事で私たちは傷つき悩みます。「自分は生きている価値があるか」とか「自分の存在理由は何か」と考え込みます。そしてこの事の答えは、比較や競争の中では見つけにくいのです。なぜなら存在理由は、物質では測りにくく、他人との比較の中ではきわめて不確かであるからです。

本論 2 競争社会の中で、自分と他人を測る

私たちは環境の中で生きています。世の中の影響や価値観に左右されます。人生は競争の中に巻き込まれます。勝者と敗者、勇者と臆病者、豊かな者と貧しい者をはっきりさせます。このため人は生まれた時から、仲間でありつつ同時にライバルとなります。つまり本当に信頼できる人は求めても得られないのです。人生の始まりから死に至るまで勝者・成功者であり続ける事は出来ず、やがて時間の経過の中で、敗北を味わうことになります。どんどん人が自分を追い越していくからです。自信に満ちた人も敗北を味わい、取り残されていきます。

この世の中は人を、役に立つか、能力があるか、生産的な働きが出来るか、元気であるか、といった「生産活動・労働力」を重視する視点で判断します。これは動物や植物と同じです。動物も植物も生きていくため、子孫を残すため、勝者となるために、競争し争います。私たちの社会も同じ面をもつのです。適者生存・弱肉強食・優生思想の世界です。しかし、人にはもう一つの面が神さまから与えられています。それは弱さや敗者を守る知恵です。これこそ存在を大切にする人間らしい面です。法律を作り、社会保障制度を整えるのも、競争原理の弊害や弱点をカバーするためです。

本論 3 自分の価値は変化する

イザヤの生きた時代は、イスラエルが苦難の中にいる時でした。国は崩壊し、民は苦しみに喘いでいました。希望はなく、未来が閉ざされている時でした。そうした時に、神はイザヤを通じて、今日のみ言葉を語りかけられます。人々の苦難は自ら招いた事でしたが、神はイスラエルの民の苦難の中で、彼らの回復を考えておられました。そうした中で、今日のみ言葉が語られます。

神のメッセージは、「存在の価値の回復」です。現状や能力に目を止めるのではなく、神の目に価値がある者たちとして語りかけられます。人は本来、存在としての価値をもつものです。しかし現実の社会においては、存在よりも能力が優先されます。このためにやがて人は、価値を失うのです。自業自得ですが、それだけでは希望が持てません。私たちは競争原理の中で、その問題点を知っていますが、そこから抜け出せません。

人の評価は、自分も周りも世の中も変わっていきます。比較と競争の世にあって、自分をそして周りを絶対的な存在の価値観に、留まれるかが問われていきます。留まれない人は、比較の中で自分の価値を見失います。何かが出来れば価値があるとされ、出来なくなると存在の意義が失われます。こうした考えを・態度を私たちは、自分にも人にもしてきたのです。

まとめ 存在こそ不変の価値となる

自分をそして周りの人を、「存在」において見ようとする事、これは自覚的・意識的な努力を必要とします。存在を評価する深さに比例して、人は優しくなれます。差別や軽蔑や優越感・劣等感は、競争原理の副作用ですが、これを中和するのは、存在の価値に心を向ける事です。人は存在に始まり存在に終わります。この価値観こそが、神の形としての人間の尊厳です。競争原理は強いエネルギー源であると共に、強い毒をもつ副作用を伴う事を自覚する事です。まず自分の偏った価値観を修正すること、そしてそれを実践することが世の中の歪みを変えていきます。自分はどんな価値観をもっているかと自分に問いかけ、人にしているようにされている事に気づく事です。「私はもうできることがない」「私は役に立てない」「人に迷惑をかけている」という言葉や態度は、自分をさげすみ、人をもさげすむことです。この考えを私たちは世の中で学んできたのです。気づかないうちに。生きてきたことこそその歩みに価値を置くのが聖書が語る神さまの価値観です。 祈りましょう。

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