2025.4.20 鳥居光芳
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25,26)
「信じますか?」と、私たちは今イエス様から問いかけられていますけれども、全ての人が、「信じます。」と答えたいものです。
今日はイースターで、ラザロ霊園が1年で一番賑わう日であろうと思います。イースターというのは、イエス・キリストが死に打ち勝って甦ったことを祝う記念日であることを私達は知っていますけれども、世間ではあまり知られていないように思います。世間では、今から2千年ほど前にイエス・キリストがこの世に生まれたことと、そのイエス・キリストは十字架に架けられて死んでしまったという事については比較的よく知られているように思いますけれども、死んだイエス・キリストがその後甦ったという事や、それを祝うのがイースターである事については、日本ではあまり知られていないように思います。
イエス・キリストが何故十字架に架かられたのかという事については、私たちの間では、もう言うまでもないことと思いますけれども、イエス様が私達人間の全ての罪を引き受けて下さって、ご自分が罪人となったからです。「罪から来る報酬は死です。」と聖書(ローマ6:23)に書かれているとおりに、私たちの代わりに罪人となったイエス様は、死ななければなりませんでした。しかし死んで終わりであるならば、イエス・キリストを信じても、あまり意味がありません。私たちがイエス・キリストを信じる理由は、イエス様が死から甦られたからです。イエス・キリストを信じている私達は、イエスキリストの十字架の死によ罪の無い者とされましたが、それだけでなく、イエス・キリストが初穂として死から甦って下さったことによって、私たちも死から甦ることが出来るようになったのです。ですから、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス以上に、イースターを大切にする理由があるのです。イエス・キリストが死から甦ったと同じように私たち人間も甦ることは、聖書(Ⅰコリ6:14)に、「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。」と書かれているとおりです。
今日の礼拝で私達は、きれいに飾ったゆで卵を頂きましたけれども、その卵は、イエス様が死から甦られたことを象徴しています。卵は生きていても全く動きませんから、見た目には死んでいるように見えますけれども、やがてそこからヒヨコが生まれてきます。イエス様も十字架に架けられて一度は死んでしまいましたけれども、3日目に甦られました。今日私達が頂いた卵は、イエス様が死から甦えられたことを象徴しているのですけれども、卵から生まれたヒヨコは、成長して寿命が来たらやがては死んでしまいます。しかし死から甦ったイエス様は再び死ぬことはなく、永遠に生きておられ点でヒヨコとは根本的に違います。死から甦ったイエス様は、今も生きておられるのです。
そのイエス様は、いつかもう一度この世にお出でになります。それは再臨の時ですけれども、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」と聖書(Ⅰテサロニケ4:16,17)に書かれています。イエス様は何のためにもう一度この世にお出でになるのでしょうか。それは、私たち人間を審くためです。2千年ほど前にこの世にお出でになった時は、私たち人間に神の愛を宣べ伝えるためにお出でになりましたけれども、今度来るときは、人間を審くためにお出でになるのです。審いて、永遠に生きる者と、永遠の滅びに落ちる者とに分けるのです。どのような人が永遠に生きる側に入れられ、どのような人が永遠の亡びに落ちるのか気になりますけれども、この世に生きていた時にどれほど善い事をしたかという事は関係がありません。自分はこれこれこういう善い事をしたから大丈夫と思っていても、そのような事は神様から見たら取るに足りない程の小さな事であって、その人の他の沢山の罪を帳消しにする程のものではありません。審く基準は、どのような善い事をしたかという事ではなくて、私たちがイエス・キリストを信じているかどうか、ということです。信じているならば、永遠に生きることのできる側に入れていただけるのです。
私たちのこの墓の墓石には、「Our God is Love」という御言葉と、「私はいつまでも主の家に住まいましょう」という二つの御言葉が刻まれていますけれども、イエス・キリストを信じている人は、愛なる神様の家で永遠に生きることが出来るのです。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25,26)とイエスはおっしゃいましたが、私たち全員がイエス・キリストを信じて、死んでも生きる者になりましょう