牧師紹介


私は、2023年4月にあらき野教会の責任牧師に就任いたしました。あらき野教会の牧師として、梅谷師、鳥居師、河村師が長年教会の働きを担ってこられましたが、河村紀子師が2023年3月末で辞任されましたので、その後の責任を私が担うように導かれました。私は、鳥居師の協力をいただきながら、日本聖契キリスト教団の牧師先生方の協力を得て、責任牧師としての働きを担っていこうと思っています。

あらき野教会では、私のほかに、鳥居光芳師、ピータソン宣教師、山﨑ランサム牧師、渡辺啓二師、北澤正明師、勝本正實師、白土兄など多くの教職や信徒の方に説教奉仕をお願いしています。
ぜひ一度教会に足を運んでください。皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

【伊野彰一牧師の横顔】

1954年7月17日生まれ。
インタナショナル・バイブル・フェローシップ主任牧師
茨城大学卒業後に、シアトルにあるノースウェスト・バイブル・カレッジで学ぶ、聖契神学校卒。
アメリカのアイダホ州にあるリバーシティ・チャーチから3名の宣教師をお招きし、リバーシティ・クリスチャン・ミッションを設立、現在はマレーシアからシーファン宣教師家族をお招きしている。

北澤正明牧師とパク宣教師の協力をいただいて、教会の働きを続けている。
妻弥生との間に2人の子供が与えられている。


1950年(昭和25年)熊本県に生まれる。高校生のときに、EHCトラクトで教会に導かれ、17歳の夏に受洗する。献身して聖契神学校に学ぶ中で、仏教に強い関心を持ち、伝道に役立てたいと願うようになったことが、比較宗教学との出会い。
聖契神学校卒業後、立正大学仏教学部(日蓮宗)を卒業。併せて僧階課程を修了。その後仏教大学で仏教学(浄土宗)を専攻。神道や民俗宗教の学びの必要を覚えて、神道宗教学会に加入し現在に至る。
郷里熊本で13年間伝道・牧会の後、1990年から千葉県流山市で開拓伝道を開始した。のちに日本聖契キリスト教団に加入し、1996年から2020年まで聖契神学校講師(比較宗教・日本教会史)を担当した。
伝道・牧会の中で、障害者や高齢者の方にも使命を覚えて、地域や他教会の方たちと共に、社会福祉法人(2か所)やNPO法人(3か所)を設立する。中でも障害者の方の為に「自立サポートネット流山」、高齢者の方のために「ゆったりほーむ」を設立し、理事長職を務めた。
2024年春迄は、柏市の「社会福祉法人 よつば」の理事長を務めた。
その後、「生きづらさを抱える人への支援事業」を起こし、また令和6年から流山市の教育委員も務めている。
これらの働きの必要のため、社会福祉士、精神保健福祉士の資格を取得。
2018年3月に教団を退会し、その後新秋津教会の協力牧師を経て、現在は信徒に戻る。
著書に「人口減少時代の宗教の危機と対応」「日本人の生活習慣とキリスト教」
「日本人の心に福音をどう伝えるか」「日本人はなぜキリスト教を避けるのか」
「日本の宗教とキリスト教」「障害者と共に生きる教会をめざして」
「人はなぜ、教会を去るのか」など。


1940年12月、私はクリスチャンの家庭に生まれました。幼い時から神様の話しは聞いていましたが、物語りとして聞いていただけで、生活の中で教えが実を結ぶようなことはありませんでした。それでも、小学生の時には日曜学校に通っていましたが、中学生になった時、「中学生になったのだから、大人の礼拝にも出なさい。」と教会から言われ、日曜日は、日曜学校と大人の礼拝の二つに出なければならない辛い日になってしまいました。そこで子供ながらに一計を案じ、「勉強が忙しくなったから、教会には行けない。」と言ってみると、不思議にもその言い分が通ってしまい、礼拝を休んでも咎められることがなくなってしまいました。
それ以来教会から離れてしまいましたが、形だけでも勉強をしている振りをしなければならなくなり、それが何年か後に大学に入るきっかけとなりました。早稲田大学第一理工学部電気工学科に入学し、そこを卒業して就職しましたが、社会人となってみて感じた事は、本当の人生は会社の中にはなく、子供の頃に話を聞いていたキリスト教の中にあるのではないかということでした。その結果、それまであまり好感を持っていなかった教会に再び行くようになりましたが、行ってみると、それまでは厳しい事を教える所だと思っていた教会が、本当は愛に溢れた所であることがよくわかり、やがて洗礼を受けました。
その後は教会に通いながら会社員生活を続けていましたが、54歳の時に導かれてウエスレアン・ホーリネス神学院に入学し、4年間学んだ後、卒業と同時にあらき野キリスト教会に任命され、梅谷養二牧師の後を引き継ぎました。それから15年後、河村師ご夫妻を主任牧師としてお迎えし、私は協力牧師としてお手伝いをさせて頂くことになりました。更に現在は、河村師ご夫妻の退任に伴って伊野彰一師を責任牧師としてお迎えし、複数の先生方にも礼拝説教のご協力を頂いて、教会の働きが続けられています。現在私は83歳で、今11月からは礼拝説教の担当から外れ、来年3月には教団からも引退させていただく予定ですが、その後は一信徒として、体の許すかぎりこの教会に仕えさせて頂きたいと願っています。

 鷺沼キリスト教会牧師
現在、あらき野教会は牧師不在のため、月に1度、礼拝説教の奉仕をしております。
鷺沼教会は、神奈川県川崎市の田園都市線沿線にあり、渋谷から最寄り駅まで20数分の
ところにあります。約45年前に教会を開設しましたが、2DKのアパートから始まりました。メンバーは私夫婦と3歳の息子だけでした。2年目から、川崎市の「学童保育事業」を委託されることになり、古民家のような一戸建てに移りました。ここで10年近く教会活動と学童保育を行いましたが、大家さんの都合で次の場所に移りました。14年前に、ようやく自分たちの場所を確保することができ、今は急に移らなければならないということがなくなり、安心して礼拝できるようになりました。礼拝する場所が与えられているということは、何にもまして大きな恵みであるということを思い、心から感謝しています。
牧師は、教会開設時から30年間、こどもの福祉(障がいのあるこどもと家庭を支援する療育センターや、こどもの相談支援を行う児童相談所)にフルタイムで勤務しながら牧師の働きを続けました。これは教会の経済的な事情とともに、牧師が地域の方々や機関とつながりをもつということを大切にしてきたからです。その後も、牧師は福祉的な活動をしながら現在に至っています。あらき野教会では、月に1度だけの奉仕ですが、毎月、あらき野教会の皆さまと共に礼拝できることを楽しみにしております。そして、専任の牧師が与えられるようにと祈っています。


1962年6月3日生まれ。<ジム・ピーターソン>
両親のレオナルド&グレースピーターソンは1955年に米国カベナント教団(ECC)の宣教師として日本に派遣され、1993年まで38年間日本聖契キリスト教団とともに宣教活動を続けた。ジムは三児、長男としてその家庭に生まれ、高校卒業するまで日本で育てられる。大学はワシントン州立ワシントン大学を1984に卒業後結婚し、1993年に神学校の学びを終えてECCの宣教師として日本に派遣される。
現在は群馬県赤城山にある赤城バイブルキャンプの常住管理人として働き、聖契神学校で「敬虔主義」と「説教学B」の二科目の教鞭をとり、また複数の地域教会で日曜礼拝の説教奉仕をしている。


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退任牧師


私たち夫婦は、1981年12月に横浜で洗礼を受けました。翌2月、同時に神様の働きに召出されました。当時、昭夫はバイオリニストの仕事を長年していました。紀子はフラワ-デザインショプ、スタジオなどを経営し忙しく働いていました。そんな私たち夫婦を、聖書のことばが現実となり、神の見えざる御手が永遠に価値のある仕事へと導いて下さったのです。
1年間英国の聖書学校で学び、埼玉県の教会で3年半伝道師として奉仕しました。その後4年間、神戸にある関西聖書神学校で牧師となるべく学びました。昭夫55才紀子48才で卒業。1991年、英国在住の日本人教会開拓宣教の為に二人の幼い子供と共に4人で旅立ちました。

11年間英国で、3年間北ドイツで宣教師として奉仕しました。本帰国後2006年4月~2015年4月、神奈川県藤沢市の日本聖契キリスト教団・湘南コミュニティチャーチで牧師として奉仕をしました。2015年5月、そこを後任牧師に委ね、当地へと参りました。

地域の皆様と共に歩む親しみのある教会として、神様の愛を伝えて参りたいと願っております。

昭夫は聖書のメッセージを語るのと共に相変わらずバイオリンで、賛美を奏でています。紀子も花を愛でる気持ちを相変わらず持ちつつ、本当に素晴らしいイエス・キリストの救いの恵みにあふれて、一人でも多くの方々とこの恵みを分かち合いたいと祈っています。

家族:長男夫婦+孫2人(埼玉県)・長女夫婦(三鷹市)・ラブジョイ(同居)