マタイの福音書 8章1節~13節

22024年12月15日 勝本正實

 主 題   受身で身につけた心の深み
招きの言葉 詩篇131篇1~3節  今週の聖句 箴言 14章 10節

命 題    今の時代は人生に肯定的・積極的であること、前向きであることに価値を置く。しかし、それは手に入れる事や満足をもたらしても、必ずしも心の内面を豊かにしない。かえって受け身となった時に、人は考え悩み苦しむ中で、自分を見つめる。私たちが望まないものの、受け身の生き方の大切さを学ぶ。

序 言 人生は受身で始まり、受身で終わる

 私たちは生まれた時から成人に至るまで、自立して生活していける訳ではありません。周りの人の助けによって、命と心と暮らしが支えられます。人生の最後もこれと同様です。色んな人に支えられて、人生を終えます。その中間の時間が、自分の活動期間となります。この期間が私たちの動きやすい活動的な期間と言えます。今日は私たちの人生のうち、不本意で、願っていない自分で何ともしがたい、受け身になってしまう人生の意味について学びます。

本論1 人生は成功と失敗、満足と不満の繰り返しである

 私たちはそれぞれの人生を振り返ってみる時、うまくいった事もあれば失敗した事も思い出します。また願いがかなった事もあれば、願いがかなわなかった悔しい思いでもあります。しかし、記憶に残るのは、うまくいったことより、悔しかったことや失敗したことや傷ついた事です。それは私たちの脳の働きで、自分を守るために、失敗や傷ついた事などは強く印象付けられるように成っているので記憶に刻まれるのです。

程度の差こそあれ、人生に成功と失敗、満足と不満はそれぞれに味わってきています。しかし、それでも病気や経済的な困難や人間関係の苦しみは、私たちが生きるのが難しい状況を作り出します。

聖書に記された、ツァラァトを患った人や中風に苦しむ人にとって、人生は絶望的になる希望など見出せないほどの状況でした。二千年前とは比較にならないほどに医学の進んだ現代でも、病気は耐え難い苦痛・苦しみの一つです。それは自分が望んだことではなく、多くが一方的に訪れる苦しみです。聖書に記された彼らにとって、イエスさまは残された僅かの希望でした。その病の中で、彼らは謙虚さを学んだのです。彼らの言葉に注目しましょう。ここに至る前に自分の身の上に起こったことを、苦々しく思った事もあったでしょう。そのなかで現実を受け入れ、目の前のわずかな希望に託そうとしています。

ここに見られるのは、苦難を受け入れた人の謙虚さです。希望を捨てずしかも自分の現状を受け入れた人の謙虚さです。自信と誇りとプライドをもって生きてきた人にない謙虚さです。

本論 2 積極さに価値を置き、受身を望まない

今の時代は、自分の可能性を最大限に生かすことに、懸命の時代です。そうしないと生きていくのが難しく、取り残されてしまいそうです。前向きであること、苦難を乗り越えること、積極的に行動することが評価されます。そうできない人は低い評価を受けます。ですから無理をしながら背伸びをして生きようとします。

一方で、受け身的な生き方や慎重で奥ゆかしい生き方は、美徳とされません。しかし現実には、苦境に立っている人、我慢して生きている人、評価されない中で生きている人がたくさんいます。一部の人が勝利者となり、多くの人が入れ替わりに敗者となる社会です。だから柄にもなく無理をするのです。しかし全く同時に、病気や経済的な困難や孤独や悩みの中で、受け身的な生き方をせざるを得ない人が多くおられます。富の偏りと与えられた機会のアンバランスが世の中には多くあります。

前向きに生きることに慣れていた人が、受け身的な生き方を強いられた時、何も出来ない・何も考えられない状態に陥り、潰れていきます。つまり逆境に弱いのです。このため、受け身的な生き方に意味や価値を見いだせず絶望することになります。

本論 3 人生で受け身に立つことが起こる

自分でなくとも家族のだれかが、或いは晩年の自分が、受け身の生き方に陥る事が起こります。その時に人はどうするのでしょう。誰かを責めたり、不運を嘆いたり、神さまに文句を言ったりしても何も状況が変わりません。

人の強さは順調な時には、力を発揮できても、逆境の時には何の役にも立ちません。本当の強さは不運や逆境の中で表われます。受け身の生き方の中で学んだ人は、どちらにも対応できますが、順調の中で生きた人には、逆境の中では耐えられません。体を鍛えることにたとえると、走ったり飛んだり投げたりする筋肉の使い方と、耐え抜くこと我慢すること受け入れることの筋肉は違うのです。太陽に向かって勢いよく伸びる大木は、虫に食べられるのには弱いのです。

本論 4 受身の生き方に何を学ぶか

受け身で生きる、忍耐をする、希望をもって生きる、諦めない、ねたまない、と言った生き方を学ばされることによって、人は自分の痛みを通じて人の痛みを思いやる力を身につけます。また感謝の心を学びます。こうして、練られた品性が自然に身についてきます。

これを避けたがる人は、たとえ苦しみの中を通ってもそこから学べず、ただただ不満と愚痴が出るだけです。病気や苦難を受容している人の持つ、優しさや穏やかさは、どうしょうもない苦しみの中でつかんだ強さ、悟りのようなものです。じぶんの限界と人の優しさや身勝手さを学ぶ中で、人間の表と裏が見えた人の冷静さです。

まとめ 何が自分を尊くするのか

自分や隣人の値打ちをどこに置くか。そこにその人の価値観や人生観が表れます。人は自然に、自分の生き方をしているのです。普段の会話、時間の使い方、お金の使い方、誰と付き合うか、そうしたことにその人の生きざまが表われています。人は語ったようには生きられませんが、行った通りに自分を表すのです。特に困難・苦しみの時に、本当の心が見えてきます。 祈りましょう。

 

タイトルとURLをコピーしました