2024年2月18日 勝本正實
主 題 傷つきやすい時代に生きて
招きの言葉 詩篇119篇105~112節 今週の聖句 ヤコブ書5章15節
命 題 今の時代は、過去の日本の歴史の中で、もっとも物質的には豊かな時代である。しかし、内面としての人の心はもろく、傷つきやすい時代である。なぜそうなのか。そこには価値観が多様化して情報が多く、自分を確立できない人々の不安と迷いがある。
序 言 人が生きた時代は、いつも苛酷であった
今日のテーマは、「心が傷つく」と言う事です。私たちが生きる環境は絶えず変化しますが、今の時代の厳しさと昔の時代の厳しさは同じではありません。ただ衣食住の生活環境の厳しさは、今よりも昔のほうがはるかに大変だっただろうと思います。私たちに欠かせない衣食住のこと、医療の事、学ぶ環境の事、仕事の選択の事、戦争の危険の事、感染症の危機など、考えてみれば今のほうがまだ恵まれていると思います。にもかかわらず、心が傷つくのが多いのはなぜでしょう。主イエスは、「疲れた人、重荷を負った人は私のところに来なさい」と言われましたが、今なら「心傷ついた人」を加える必要があります。
そこで今日は、傷つきやすい時代に生きてと題して、み言葉から学びます。
本論1 傷つきやすいのはなぜだろう
なぜ今の私たちは心が傷つきやすいのでしょう。こう尋ねると、「昔に比べて心が軟弱になったとか、苦労が足りないから」と言われそうです。しかし今の時代でも、結構苦労はあります。まず競争社会に生きていて、絶えずストレスがあります。大人も子供も忙しく、時間に追われています。変化が激しいので自分の未来に希望を持ちにくい状況です。
一方で人間関係は弱く、人は頼りにできません。みんな自分の事で精いっぱいで、思いやりが持てません。良く考えてみれば、孤独な人・孤立している人がいっぱいいます。
いじめや差別や偏見は常にありました。その中で、今は制度的には守られていますし、みんな敏感です。しかし、いじめや差別はなくなりません。その中で跳ね返す力、耐える力が不足しています。心を守るのにやわらかい膜しか持っていません。ガチョウの殻ではなく、鶏の卵の殻程度しかないのです。このため簡単に壊れるし、外部の影響を受けます。
本論 2 カナン人の女と主イエスの会話
先ほど一緒に読みました、マタイの福音書に目を止めましょう。主イエスと弟子たちは、暫くの休息の為、ツロとシドンの地方に行かれました。そこには、主イエスを必要とする人たちが待っていました。カナンの女性は、病気の娘を抱えていました。誰も癒せない病でした。そこで、主イエスに憐れみを請い求めます。しつこく求めます。主イエスは、拒否されます。それでもカナンの女は諦めません。他に頼る方法がないのです。
主イエスは、何度も拒否されますが、女は諦めません。女の心はさぞかし切なかったことでしょう。傷ついたことでしょう。イスラエルの人は助けてもらえるのに、外国人はできないと言われます。それでもあきらめません。そしてついに、主イエスの心は動きました。女の信仰が立派だったからです。カナンの女性の熱意と信仰は、主イエスの心を動かし、神の恵みを引き出しました。人間的な言い方をすれば、主イエスの最初の予定を変えさせたのです。
本論 3 心のもろさとプライドの高さ
今の時代の人の心がなぜ傷つきやすいのかと私も考えます。一つには、それは失敗や挫折から立ち上がる練習の足りなさや傷のいやし方が不足しているからではないかと思います。例えば、植物の中には、葉っぱや幹が傷つくと樹液を出して修復します。ちょうど私たちの体にかさぶたが出来るようなものです。その力が弱い、つまり自己治癒力が足りないために、傷が深くなったり、膿がたまったりしてしまうのではないかと思えます。
二つに、免疫力や忍耐力が不足しているのにプライドだけは高く、このため謙虚になったり、助けを求めることが苦手です。そこで、自分を被害者とすることで、問題をごまかそうとしてしまうのです。問題や課題に取り組まず、相手が悪い・世の中が悪いとすることでごまかすのです。「私は傷ついた」と言うことで、問題をすり替えます。こうしたトラブルは、大変増えています。クレーマーになったり、被害者を装うことで、相手に自分の言う事を聞かせようとするのです。年齢は大人でも、心は自立できない幼なさを持っています。
本論 4 どうすれば強くなれるのか
では、どうすれば心を強く出来るのでしょう。それは自分の弱さや身勝手さを認めるところからスタートします。正直に自分が弱く、しかも身勝手であるかを認める事です。「主よ、お助け下さい」とカナンの女は語りました。最初は娘を助けてと言っていましたが、本当はこの女自身が助けてほしかったのです。
人は、自分の弱さや醜さを認めることから回復への一歩を歩み出します。自分を正直に認めることで、自分に何が必要なのかが見えてきます。傷つきやすい人は、非常に高いプライドを持つことで何とか自分を支えます。このため現実との間のギャップを埋められないのです。このために人を非難したり、環境を嘆いたり、過去を引き出したりして、問題から逃げたり、ごまかすことで自分を支えようとします。そこで、聖書を鏡として、自分の愚かさや弱さを認め、自分からの囚われを離れるのです。
まとめ 自分と向き合って
信仰は自分や他人とではなく、神と向き合うことを教えます。神の前に自分がどれほどのものかを見つめるのです。そこからやり直す。それによって、弱さを強くして下さる神の力を見出すのです。弱さを自覚する時に、強くなれるのが信仰の力です。人のせいにしたり、親のせいにしたり、環境のせいにするのでは、被害者意識から容易に抜け出せません。
自分と正直に向き合うことで、自然治癒力が働き、前にむかう事が出来ます。
祈りましょう。